死は日常の延長にある|五木寛之さんの言葉から考える、からだ・医療・老い・最期の整え方

死は日常の延長にある

五木寛之さんの言葉から考える、からだ・医療・老い・最期の整え方

日本は、これからますます「多死社会」を迎えていきます。

団塊の世代が80代に入り、身近な人の死、親の介護、自分自身の老いが、これまでよりもずっと身近なものになってきました。

今回、作家・五木寛之さんの記事を読んで、あらためて感じたことがあります。

死とは、特別な出来事ではなく、日常の延長にあるものだということです。

私たちは、普段できるだけ死を考えないように生きています。けれど、食べること、眠ること、歩くこと、息をすること、人と会うこと。そのすべての延長線上に、いつか必ず死はあります。

五木さんの言葉から見えてくるのは、死を単なる恐怖や敗北としてではなく、人生の自然な流れとして見つめる姿勢でした。

死は、医療の失敗ではない

現代医療は大きく進歩しました。

感染症で命を落とす人は減り、がんや心臓病、呼吸器疾患に対しても、多くの治療法があります。検査も、薬も、手術も、放射線治療も、以前とは比べものにならないほど発達しました。

それは本当にありがたいことです。

一方で、医療が進歩したことで、私たちはいつの間にか、死を「できるだけ遠ざけるべきもの」と考えるようになりました。

病気は治すべきもの。命は延ばすべきもの。最後まで治療を続けることが正しいこと。

もちろん、治療によって救える命があります。痛みや苦しみを和らげ、生活を取り戻せることもあります。医療の役割は、今もこれからも非常に大きいです。

けれど、どれだけ医療が発達しても、人はいつか必ず老い、弱り、最期を迎えます。

だからこそ大切なのは、「どこまで治すか」だけではなく、「どう生きたいか」を考えることなのだと思います。

死は医療の敗北ではありません。命あるものにとって、自然な流れの一部です。

五木さんが語る「理想の死」

この記事の中で特に印象的だったのは、五木さんが語る「理想の死」についてです。

五木さんは、日本でもいずれ、欧州の国々のように尊厳死が認められる方向に進むのではないか、と語っています。そして、死は政治的にも、法律的にも、医学的にも、これから大きなテーマになっていくだろうと見ています。

ここで大切なのは、五木さんが単に「延命治療を否定している」ということではありません。

むしろ、問いの中心にあるのは、死は誰のものなのかということです。

医師が決めるものなのか。家族が決めるものなのか。社会の常識が決めるものなのか。それとも、最後まで本人のものとして扱われるべきなのか。

五木さんは、自分の意思に反して延命されることが、本当に生命の尊重なのか、という問いを投げかけています。

これは、とても重い問いです。

長く生きることは尊い。けれど、本人が望まない形で、苦痛や不安を抱えながら時間だけが延びていくとしたら、それは本当にその人のためなのか。

ここには簡単な正解はありません。

家族は、できるだけ長く生きてほしいと願います。医療者は、できる治療を提案します。本人の気持ちも、その時々で揺れます。

だからこそ、元気なうちから考えておく必要があります。

自分は、どこで最期を迎えたいのか。どんな治療は受けたいのか。どんな治療は望まないのか。苦痛があるときには、何を優先したいのか。家族に何を伝えておきたいのか。

これは「死の準備」ではありません。

最期まで自分の人生を、自分のものとして持っておくための準備です。

「死は個人のもの」という感覚

五木さんは、死はもっと個人のものであってよいのではないか、と語っています。

自分で生きてきたように、自分で死んでいきたい。自由とは、そういうことではないか。

この考え方は、若い人には少し極端に聞こえるかもしれません。しかし、90歳を超えて、自分の人生観や死生観が変わってきた人の言葉として聞くと、非常に重みがあります。

若い頃は、死は遠くにあります。だからこそ、死を考えることは暗く、縁起でもないものに感じます。

しかし高齢になると、死は遠い未来ではなくなります。日々の体調の変化、食欲の低下、歩く力の衰え、病気の知らせ。そうしたものを通して、死は少しずつ日常の中に入ってきます。

そのときに、すべてを医療に委ねるのか。家族の判断に任せるのか。それとも、自分の言葉で、自分の希望を伝えておくのか。

五木さんの「死は個人のもの」という言葉は、最期を孤独に迎えるという意味ではありません。

むしろ、家族や医療者に支えられながらも、自分の人生の終わり方を、他人任せにしないという姿勢なのだと思います。

五木さんの中にある「生きる罪悪感」

記事の中では、五木さんの戦争体験や引き揚げの記憶にも触れられています。

北朝鮮で敗戦を迎え、引き揚げの途中で多くの無残な死を見てきたこと。道ばたに置き去りにされた赤ん坊や子どもを目にしたこと。そして、自分自身は生き延びたという感覚。

五木さんは、それを「生存者の罪悪感」と表現しています。

自分はなぜ生き延びたのか。亡くなった人たちの代わりに生きているのではないか。

この感覚は、戦争を体験した世代に特有の深い傷でもあります。

五木さんは、自分自身について、死んだ人たちの代わりとして生きている感覚がある、と語っています。そして、中東などで多くの子どもたちが亡くなっている現実に触れ、自分だけが生き延びていることへの痛みも語っています。

これは、単なる個人の思い出ではありません。

人は、ただ寿命が延びれば幸せになるわけではありません。長く生きることの中には、記憶も、後悔も、罪悪感も、背負ってきた歴史もあります。

だからこそ、医療や健康づくりを考えるときにも、単に「寿命を延ばす」だけでは足りません。

その人が何を背負って生きてきたのか。どんな痛みを抱えているのか。どんな人生観を持っているのか。

そこまで含めて見なければ、本当の意味でその人を支えることはできないのだと思います。

病院に行くことへのためらい

五木さんは、80代半ばまで、あまり病院に行かなかったと語っています。

病院が嫌いというよりも、自分だけが十分な医療を受けることへの罪悪感があったようです。

引き揚げの途中で亡くなった母親は、薬一服、注射一本も受けることができなかった。その記憶があるからこそ、自分だけが病院で治療を受けることに、どこか抵抗があった。

この感覚は、現代の私たちには簡単には理解できないかもしれません。けれど、医療を受けるという行為には、その人の人生の記憶が深く関わっています。

病院に行きたがらない人。薬を飲みたがらない人。検査を受けたがらない人。

その背景には、単なる頑固さだけではなく、過去の体験や価値観が隠れていることがあります。

だから医療者は、正しい治療を説明するだけでは不十分です。

なぜその人は迷っているのか。何を恐れているのか。どんな人生を生きてきたのか。

そこに耳を傾けることが、治療の出発点になるのだと思います。

咽頭がんを経験して感じた「自分の死が自分のものではなくなる」感覚

五木さんは、昨年、咽頭がんの告知を受けたことにも触れています。

医師や看護師と相談しながら治療が進む中で、周囲の人たちの理解と協力が大切であることを認めつつも、どこか違和感を覚えたと語っています。

治療が進んでいく。医療者が判断する。周囲が支える。その中で、死ぬことすら個人のものではなくなっていくように感じた。

これは、医療の現場にいる者にとっても、とても大切な視点です。

医療には専門性があります。患者さんがすべてを自分で判断することは難しい場面もあります。だからこそ、医師や看護師が支える必要があります。

しかしその一方で、医療が前に出すぎると、本人の人生や死が、本人の手から離れてしまうことがあります。

治療方針を決めるとき、私たちはどうしても医学的な正しさを考えます。

どの治療が有効か。どの薬が標準治療か。どの検査が必要か。どの選択肢が生存期間を延ばすか。

それはもちろん大切です。

けれど同時に、その人は何を大切にしているのかどんな時間を残したいのか何を苦痛と感じ、何を希望と感じるのかを聞くことも、同じくらい大切です。

治療は、病気だけに向けるものではありません。その人の人生に向けるものです。

からだを整えることは、死を避けることではない

「からだを整える」と聞くと、多くの人は、健康寿命を延ばすこと、病気を予防すること、若々しくいることを思い浮かべるかもしれません。

もちろん、それは大切です。

呼吸を整える。睡眠を整える。血糖を整える。筋肉を保つ。腸内環境を整える。皮膚を整える。ストレスを減らす。

こうした日々の積み重ねは、病気の予防にも、生活の質の向上にもつながります。

しかし、からだを整えることの本質は、単に「死なないため」ではありません。

むしろ、限りある命を、自分らしく使うためにあります。

呼吸が楽になると、外に出たくなります。皮膚のかゆみが落ち着くと、人と会うのが楽になります。睡眠が整うと、気持ちに余裕が生まれます。筋力が保たれると、自分の足で行きたい場所に行けます。

からだが整うと、人生の選択肢が増えます。

そして人生の終盤においては、自分の希望を伝えられること、自分で食べられること、自分で歩けること、自分の言葉で「こうしたい」と言えること。

それもまた、からだを整える大切な意味です。

「生きる」と「延命」は同じではない

医療の現場では、患者さんやご家族から、こうした悩みを聞くことがあります。

この治療は、本当に本人のためになっているのでしょうか。薬は増えているけれど、本人はつらそうです。入院よりも、家で過ごしたいと言っています。食べられなくなったとき、どこまで医療を受けるべきでしょうか。

ここには、誰にでも当てはまる正解はありません。

長く生きることには価値があります。けれど、長さだけでは測れない価値もあります。

自分の家で過ごせること。好きなものを少しでも食べられること。家族と穏やかに話せること。苦痛が少ないこと。自分らしさを失わずにいられること。

こうしたものもまた、医療が大切にすべき「生きる」の一部です。

心臓が動いていることだけが、生きることではありません。

その人がその人らしく在れること。そこに目を向ける必要があります。

悩むことは、若者だけの特権ではない

記事の終盤で、五木さんは「悩むのは若者の特権」と言われることに触れながら、90歳になって悩むことも大事だと語っています。

これは、とても印象的です。

人は、10代や20代だけで人生に悩むわけではありません。90歳になっても、人は生き方に悩みます。死に方に悩みます。残された時間をどう使うかに悩みます。

若い頃の悩みは、未来が広がっているからこその悩みです。高齢になってからの悩みは、残された時間が限られているからこその悩みです。

どちらも、人間らしい悩みです。

医療が発達し、90歳まで生きることが珍しくなくなった時代。私たちは、ただ長く生きるだけではなく、長くなった人生をどう生きるのか、そして、どう死んでいくのかを考えなければならなくなっています。

からだ整えラボから伝えたいこと

健康とは、病気がないことだけではありません。

検査値が正常であることだけでもありません。薬を飲んでいるかどうかだけでもありません。

健康とは、自分のからだと折り合いをつけながら、自分らしく生きられる状態だと思います。

若いときには、鍛える健康があります。働き盛りには、崩れないように支える健康があります。年齢を重ねると、失われていくものと上手につき合う健康があります。

そして人生の終盤には、治す医療だけでなく、支える医療、苦痛を和らげる医療、その人らしさを守る医療が必要になります。

五木さんが語る「理想の死」とは、特別に立派な死に方ではないのだと思います。

それは、最期まで自分の人生を自分のものとして持っていること。自分で生き、自分で死んでいくという感覚を失わないこと。周囲に支えられながらも、本人の意思が置き去りにされないこと。

からだを整えることは、死から逃げることではありません。老いを否定することでもありません。

限りある命を、自分らしく使うために整える。最期の場面でも、自分の希望を持てるように整える。人に支えられながらも、自分の人生として受け止められるように整える。

その意味で、健康づくりとは、若さを保つためだけのものではありません。

自分らしく生き、自分らしく老い、自分らしく逝くための土台づくりなのだと思います。

死は、日常の外側にあるものではありません。日々の暮らしの延長にあります。

だからこそ、今日のからだを丁寧に整える。今日の呼吸を大切にする。今日の一食を味わう。今日会える人に、会っておく。

そして、いつか迎える最期について、自分の言葉を少しずつ持っておく。

それが、からだを整えるということの、もう一つの大切な意味なのかもしれません。

投稿者プロフィール

院長:山口裕礼(やまぐちひろみち)
院長:山口裕礼(やまぐちひろみち)
からだ整えラボ
① 医学=呼吸器・アレルギー
② 生活=腸・温活・食・睡眠・肌
③ 幸福=働き方・環境・園芸
“病気を診るだけでなく、人をまるごと診たい”
——その思いを胸に、学びを続けています。
医学的根拠 × 生活習慣 × 心の豊かさ
三位一体の医療をめざしています。
資格:
<医学・医療>医学博士、日本呼吸器学会認定呼吸器専門医、日本アレルギー学会認定アレルギー専門医、日本喘息学会認定喘息専門医、日本内科学会認定内科医、日本喘息学会認定吸入療法エキスパート
<予防医学・代替医療・環境>
機能的骨盤底筋エクササイズpfilAtes™認定 インストラクター国際資格← NEW✨
カラダ取説®マスター・ジェネラル
環境省 環境人材認定事業 日本環境管理協会認定環境管理士、漢方コーディネーター、内面美容医学財団公認ファスティングカウンセラー、日本セルフメンテナンス協会認定腸内環境管理士、腸内環境解析士、日本温活協会認定温活士、薬膳調整師、管理健康栄養インストラクター、食育健康アドバイザー、日本フェムテックマイスター協会公認フェムテックマイスター®上級、公認妊活マイスター®Basic、日本スキンケア協会認定スキンケアアドバイザー、メンタル士心理カウンセラー、アーユルヴェーダアドバイザー、快眠セラピスト、安眠インストラクター
<文化・生活>
日本園芸協会認定ローズ・コンシェルジュ、ローズソムリエ®(バラ資格)
<受賞歴>
第74回日本アレルギー学会学術大会「働き方改革推進奨励賞」受賞